第1章 富士が見えない「富士見坂」

「江戸の坂」の中でも「富士見坂」と名前のついた坂は、都内に15カ所もあると言われています。平成のこの時期になると、実際に富士山が見える坂は一つも無くなってしまいました。その代表的な「富士見坂」は次の通りです。

 

荒川区西日暮里三丁目富士見坂

荒川区西日暮里三丁目富士見坂

一番目の富士見坂は、西日暮里3丁目にある「富士見坂」です。JR西日暮里駅を降りて、南西に少し入った細い坂を登切ったところにある坂です。私が最初に訪れた10年ほど前は坂の上から遙か遠方に富士山がよく見えました。地元の方のお話では、冬の季節の良く晴れた夕暮れに、坂の上からダイアモンド富士が眺められたとのことです。
2013年6月、富士山は世界文化遺産に登録されましたが、その年に、この「富士見坂」は南西の方角に大きなマンションが建ってしまい、富士山は見えなくなってしまいました。 ほんとうに皮肉なことです。 [Map]

 

 

靖国神社裏の富士見坂

靖国神社裏の富士見坂

二番目の「富士見坂」は、靖国神社裏通りにある真っ直ぐに伸びた綺麗な坂です。前方に高いビルが建ち並び可成り前から富士山の遠望が出来なくなっています。江戸時代この辺りの坂上には、尾張藩邸があったところだそうです。今は法政大学、白百合学園、三輪田学園などの文教地域になっています。静かな町の雰囲気は今も健在です。 [ストリートビュー]

 

 

明大下の富士見坂

明大下の富士見坂

三番目は、神田駿河台1丁目、明治大学南わきを西に入った神保町に続く狭い道で、居酒屋など小さなお店が立て込んだ今では平坦な「富士見坂」です。近くに暮らす人々でさえこの場所が「富士見坂」と思っている人は少ないそうです。昔はここからでも富士山を見上げることが出来たかと思うと、江戸の町の多くの場所から富士山が見えたのかも知れません。 [ストリートビュー]

 

 

 

 

 

 

豊島区高田富士見坂

豊島区高田富士見坂

四番目の「富士見坂」は、豊島区と文京区の区境にある「富士見坂」で目白通りに面した旧い酒屋さんと写真館に挟まれた坂道です。坂を下ると高田方面に向かう坂です。その直ぐ隣に「日無坂」が平行しています。「日無坂」と「富士見坂」との間には、古い木造の瓦屋根と粋な木作りの塀に囲まれた民家が割り込むようにして建っています。昔はこの辺りは大きな木に覆われ日も差さなかったところから「日無坂」と呼ばれていたそうです。両坂とも勾配がきつく細長い坂で、見栄えの良い坂です。 [Map]
この二つの坂と坂に挟まれた民家を入れて撮られた写真は、たびたび写真誌にも載ることがあります。

以上の他に、学習院校舎に囲まれた坂、国会周辺、防衛庁の施設内にも「富士見坂」はありますが、かなり昔から名前ばかりの「富士見坂」になってしまいました。

 

小石川植物園そばの御殿坂

小石川植物園そばの御殿坂

さらに、「富士見坂」と呼ばれていた坂が改名されて、別の名前になった坂があります。渋谷にある宮益坂[ストリートビュー]、小石川植物園そばの御殿坂。「富士見坂」と呼ばれていた時代には、たぶん富士山がよく眺望できたのでしょう。今となっては、富士山は全く見えない坂となり、坂名を変更せざるをえなくなったのでしょうか。 [ストリートビュー]
さらに海の見えなくなった「潮見坂」、江戸の町が見えなくなった「江戸見坂」、など、本来見えていた景色を表現するためにつけた坂の名前がそのままに今も残っています。

 

 

皇居汐見坂

皇居汐見坂

その代表格は皇居東御苑内にある「汐見坂」です。本丸と二の丸をつなぐ坂道で、坂の上からは丸の内のビル街しか見ることは出来ません。江戸時代には坂の下に広がる江戸湾の入り江がよく見えた場所と言われています。今では、桜の季節になると大勢の人々が桜見物がてらに「汐見坂」にも訪れます。 [ストリートビュー]

 

 

 

今回の「江戸の坂」写真散歩はここまでにしたいと思います。500余も存在する「江戸の坂」です。ご紹介出来るのはほんのわずかな数です。私もまだ全体の70%位程しか撮影しておりません。これからも機会あるごとに撮影していきたいと思っています。もし、ご興味のある方は、都内を散歩するときは、地図とカメラを片手に、「江戸の坂」を探しながら、のんびりと散策されることをお薦めします。坂を歩くことは、足腰を鍛え健康にも大変効果的です。

次回は、もう少し違った切り口から「江戸の坂」のお話をしたいと思います。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。

関根敏弘

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