第3章 私が選んだ「江戸の坂」10選をご紹介します

豊島区のぞき坂

豊島区のぞき坂

その1:「のぞき坂」(ストリートビュー)豊島区高田にある坂で目白通りから明治通りの都電荒川線に沿うように南に下る坂です。別名「胸突坂」とも呼ばれています。写真でご覧頂けるように、上から覗くような迫力のある急峻な坂です。「江戸の坂」の中でも一位二位をあらそう急坂だと思います。200メートルもある長い坂で、坂の高低差は17メートル、坂の度数は13度とのことです。自転車ではとうてい乗ったまま上りきれる坂ではありません。自動車でも(Dギヤー)では難しく、多分(セカンドギヤー)にチェンジしないと登り切れないほどの坂です。そのうち一度チャレンジしてみたいと思っています。

 

新宿区七曲坂

新宿区七曲坂

その2:「七曲坂」新宿区下落合4丁目の氷川神社の北西端から北に向かう坂です。昔は七カ所の曲がり角があったことからこの坂の名前がつけられました。この坂は鎌倉時代、源頼朝によって開拓されたという古い歴史を持つ坂です。また、大正の頃には、七曲がり坂の丘上に大きな西洋館があり、そこには大島陸軍大臣の屋敷とか、戦前には元帥大将クラスの軍人の住居があったところといわれています。曲がりくねった坂を見上げると、この先にどのような世界が広がっているのか興味を懐かせるような坂道です。今も昔の面影を残す静かな「江戸の坂」です。(ストリートビュー)

 

千代田区遅刻坂

千代田区遅刻坂

その3:「遅刻坂」千代田区の赤坂見附にある坂で、山王グランドビルとプルデンシャルタワーの間にある狭い坂道です。坂の上の右側に都立日比谷高校、左手にはメキシコ大使館があります。長さは170メートルもありやや急坂です。坂の名前の起こりは、この辺りの官公庁勤めのお役人や日比谷高校の学生達が朝の出勤、登校時にこの厳しい坂を登らなければならないため、よく遅刻することが多く「遅刻坂」の名前で呼ばれるようになったようです。坂の上に表示されている標識柱には「新坂」となっています。しかし、「遅刻坂」の方が、実感がこもっており良い坂名だと思います。この「遅刻坂」の素晴しい景観は片側の日比谷高校側にそそり立っている城壁の様な石垣に包まれていることです。この景色は、他には見られない雰囲気があります。朝、夕に見る坂は、絵に描いたような格別なものです。(ストリートビュー)

 

大田区鶴の巣坂

大田区鶴の巣坂

その4:「鶴の巣坂」大田区上池台にある坂です。「江戸の坂」としてはあまりメジャーな坂ではありませんが、真っ直ぐに伸びる綺麗な坂です。その昔、この辺りには鶴が多く住み着いて、鶴の巣が多く、この名前が付けられたようです。鶴といってもコウノトリのことだそうで私の住む鴻巣にちなんで親しみが湧き訪れた坂です。素直で何の特徴もないところが好きなところです。(ストリートビュー)

 

 

目黒区馬喰坂

目黒区馬喰坂

その5:「馬喰坂」中目黒4丁目と3丁目との境にある坂道で、西に向かって逆S字状に曲がりながら上っていきます。長さも140メートルはあります。高低差15メートルで平均斜度6度といわれる坂です。この坂は、むかし風雨に晒されるとすぐに地面が凹凸状に穴が空いた状態になったそうです。目黒の方言で、このような状況になった道のことを「ばくろ」と呼んだそうです。そんなことから馬喰の当て字が付けられたといわれています。また別の資料では、この辺りに馬の鑑定や売買をするところでもあったそうで、そこで馬喰の名前がついたともいわれています。どちらが正しいのかは不明です。坂の上右には、現代彫刻美術館、目黒ガーデンマンションなどがあり、静かな住宅地になっています。(ストリートビュー)

 

台東区三浦坂

台東区三浦坂

その6:「三浦坂」台東区谷中1丁目と4丁目の間を南西から北東に上る坂です。長さ160メートルで、高低差6メートルほどといわれています。昔この辺りに三浦志摩守の下屋敷があり、その名前を付けたものです。坂の両側には樹林が生い茂り、下町の風情も感じられます。この坂の下には、藍染川が流れていましたが、今は暗渠となり川の姿はありません。その川の流れは、不忍池に注がれています。また、坂の上に「大名時計博物館」があります。昔からの雰囲気を残す美しい坂です。(ストリートビュー)

 

 

目黒区目切坂

目黒区目切坂

その7:「目切坂」目黒区青葉台1丁目と上目黒1丁目の境目にある坂です。高い塀と広い住宅地に囲まれ、4つに折れ曲がった坂道です。明治時代にこの坂上に伊藤興右衛門という石臼の目を切る職人がおり、その名前が坂名になりました。この坂は鎌倉街道の途中にあり、昼でも暗い林の中を通っていた坂です。そのため別名を「暗闇坂」または「しめ切り坂」とも呼ばれていたらしい。坂の長さはおおよそ250メートルほどもあります。今でも歩く人の姿が少ない寂しい坂です。
代官山方面から下る坂の右側にある石垣の中には、旧朝倉家の屋敷があります。道を挟んで反対側には、高層マンションの敷地の中に目黒元富士跡があります。江戸時代に富士山信仰が盛んで、この地に富士塚が築かれ浅間神社が祀られていた処です。この坂の見所はゆったりとしたカーブと静かな環境が今も残っているところです。(ストリートビュー)

 

 

北区近衛坂

北区近衛坂

その8:「近衛師団坂」北区赤羽台にある坂です。JR赤羽駅から東北・上越新幹線の高架に沿って北に向かい、赤羽八幡神社の西側のカーブを切ったところから坂は始まります。この坂は、明治20年頃、千代田区丸の内から旧陸軍近衛師団が北区赤羽台に移転して以来、師団の施設がありました。戦後その跡地に建てられたミッション系の星美学園があります。坂の上には集合住宅等もあり静かな環境の中にあります。坂の上からは赤羽の繁華街が見渡せます。(ストリートビュー)

 

 

文京区炭団坂

文京区炭団坂

その9:「炭団坂」文京区本郷にある坂で、本郷台地から菊坂方面に下る坂です。坂名の由来は、炭団を商う商人達が多く居住していたことから付けられたようです。また、あまりの急坂で雨でも降ると坂道がどろんこになり、往来する人がよく転がって泥だらけになった話から付けられたといわれています。この坂の上にはかって坪内逍遙も暮らしており(小説神髄)をはじめ(当世書生気質)などを発表した場所ともいわれています。正岡子規、河東碧梧桐、高浜虚子などの詩人達も青春時代を過ごした坂の町でもあります。まさに近代文学発祥の坂ともいえるかも知れません。今は、急な石段の坂になっています。急坂のため坂の中央には鉄製の手すりが付けられています。(ストリートビュー)

 

 

品川区鏑木坂

品川区鏑木坂

その10:「鏑木坂」品川区旗の台にあり、昭和大学とその付属病院の間から上っていく坂です。昭和大学の隣には、区立第二延山小学校があります。江戸時代からこの坂上に、天領名主鏑木家の屋敷があったところから「鏑木坂」の名前があります。長さは210メートルもあり、かなりの急坂で、真っ直ぐ伸びた美しい坂は、絵に描いたような形状をしています。私が5歳の頃、この「鏑木坂」の麓近いところに家がありました。その家もこの辺りの家々も太平洋戦争で焼き尽くされてしまいました。幼い頃、この坂でよく姉たちと遊んだことも記憶の中に微かに残っています。当時二人の姉は第二延山小学校の生徒でした。
何時かは訪れて見たかった「鏑木坂」でしたがようやく5年程前に実現しました。夢にまで見た「鏑木坂」は間違いなく私にとって美しく素晴らしい坂でした。65年ほどの遙か昔の幼い記憶がすぐに戻ってきました。「江戸の坂」はいつも私にとって有意義な時間を与えてくれています。(ストリートビュー)

 

「江戸の坂」散策のお話もこれでおしまいです。まだ未探索の坂が多く残っています。体力と気力がある限りこれからも「江戸の坂」の散策を続けようと思っています。ご案内の要領が悪く皆様に興味をお持ち頂けたかどうか分かりませんが、少しでも「江戸の坂」の存在を知って頂こうと思いました。

最後までお読み頂いた社友会の皆様に感謝申しあげます。また、社友会のホームページに掲載をお許し頂きました佐藤忠夫会長に心より感謝申しあげます。

完                                                    関根敏弘

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