サンティアゴ巡礼の旅(北の道続編)その2

サンティアゴ巡礼の旅日誌より

(タピア・デ・カサリエゴ~ミラス)119km
2019年6月3日~6月9日

海岸沿いの道を辿ってタピア・デ・カサリエゴの町を通り抜けた

 

タピア・デ・カサリエゴからリバデオに向かう

 

 

 

 

 

 

 

 

Map:タピア・デ・カサリエゴ

ペナロッダ浜。 この先リバデオの町を通って、遠望の山の方に向かって進んだ。

ペナロッダ浜の崖上にぽつんとサン・ロレンソ-サンタ・カデア礼拝堂が建っていた

 

アストゥリアス州側からリバデオの町を望む。リバデオ湾が内陸に向かって深く切れ込んでいる

 

 

 

 

 

 

 

 

リバデオ湾をロス・サントス橋で渡り、アストゥリアス州からガリシア州に変わった。
ガリシア州側の泊まったアルベルゲの敷地から撮ったロス・サントス橋

Map:ロス・サントス橋

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の上からリバデオのヨットハーバーと町並みを望む

ホテルに泊まると言うジャンと別れて、湾口の方に戻り岸壁の上にぽつんと建っているアルベルゲに午後3時過ぎに入った

 

 

Map:リバデオ

 

リバデオのレストランでSIDRA(シードル・りんご酒)を飲みながら、PULPO A FEIRA(正調タコ料理といった意味だそうだ)を食した

スペイン広場に面して建つリバデオのシンボル的な建物、ロス・モレノスの塔(修復中)。インディアノスが建てた建物のひとつ。インディアノスとは19世紀後半に中南米に移住して一旗揚げて20世紀初頭に戻ってきた人たち。中南米で稼いだお金で、当時としては近代的なマンションがガウディの弟子のひとりである建築家によって建てられた。リバデオにはインディアノスが建てた建物が、他に10棟残っているそうだ。

 

Map:ロス・モレノスの塔

 

曇り空のリバデオ市街地を通り抜けると緩やかな登りとなった。振り返るとリバデオ湾がよく見えた。これが海の見納めとなった

アストゥリアス州ではサンティアゴ巡礼路の標識であるホタテ貝マークの蝶番(ちょうつがい)となる部分が進む方に向けられていた。(ホタテ貝のこの部分を何といえばよいか悩んだが、子供のころ年寄りが蝶番(開き戸や開き蓋などが開閉できるようにとりつける金具)と言っていたことを思い出した。

 

ガリシア州に入ると貝マークの蝶番となる部分が常に左側にあり、必ず進む方向の矢印が添えられるようになった。サンティアゴまで184,925km {スペイン語では小数点は ,(コンマ)なのだ}

アランテ橋とノサ・セニョーラ・ダス・ビルツデス教会。
FESTA DAS CRUCES BENVIDOS(十字架祭へようこそ)の垂れ幕がアランテ橋の上に掲げられていた。ここを通った4日後の6月9日、10日に祭りは開かれたようだ。プログラムによると、スペイン独立戦争(1808~1814)で地元民衆がナポレオン軍に勝利した場面を再現するセレモニーがあるようだ。

 

教会の内部

 

 

 

 

 

 

森林、牧草地、畑が広がり、民家が散在するなか、土道、砂利道、舗装された道を交互に辿った

 

 

 

 

 

 

ロウレンサのベネディクティーノ・サン・サルバドール修道院。この修道院正門とサンティアゴのカテドラル正門は同じ人物によって設計されたそうだ。つまり、この正門はサンティアゴ・カテドラルの正門をつくる前の試験台でもあったのだ

Map:ロウレンサ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り空の下、ロウレンサの市街地の外れにあるアルベルゲに午後5時ごろ入った。人通りの疎らな市街地に出て、ベネディクティーノ・デ・サン・サルバドール修道院の内部を見物し、バルで簡単な食事をしてアルベルゲに戻った。
共同スペースで3人のチェコ人が寛いでいた。ひとりはリバデオのアルベルゲで泊まり合わせたライカ。彼女は物静かな女性で好感を持った。この後、サンティアゴまでの間に彼女とは同じ宿とならなかったが、3回ほど出合った。それに、ペアのクリスティーナとディビッド。彼らは、高校を卒業したばかりで、今夏休みを取っている。夏休みは2か月だが、大学に進学するふたりは、休みがさらに1か月あるそうだ。ふたりとも朗らかで伸び伸びした様子から、多分進学先が決まっているのだろう。ディビッドは日本に関心があり、ベルリンに美味いラーメンが食べられる店があるとか、新横浜にラーメン博物館があり、日本各地のラーメンを食べられると知っていた。鮨も好き、盆栽にも興味あり。彼らは、サンティアゴ到着後、日本を旅するのだと。ディビッドからもらった名刺にGraphic Designerとなっていた。仕事を持っていて収入があるのだろうか。過去の警察監視国家であったチェコスロバキアを知らない彼らが、自由に伸び伸びと青春を謳歌している。彼らとはサンティアゴのカテドラル近くで、また顔を合わせた。帰国後の交信で、お金が無くなり、今回の日本行きを断念したと知らせてきた。
このアルベルゲのホスピタリオ(ア)が現れなかったので宿賃を払えず無賃宿泊となった。

 

左からクリスティーナ、ディビッド、ライカ

 

共同スペースの壁に50か国ほどの言葉で「ようこそ」が表示されていた。スペイン語ではbienvenido、ガリシア語ではbenvido 。チェコ語では ”vitejte” とディビッドに教えられた

 

 

 

 

 

 

 

 

オレオ(高床式穀蔵)の下を潜る巡礼路

 

 

 

 

 

 

 

山間にあるモンドニェドの町。左手前、モンドニェド・カテドラル。その奥、サンティアゴ教会

Map:モンドニェド・カテドラル

 

 

 

 

 

 

 

モンドニェドのカテドラルは2015年に世界文化遺産に登録された。

モンドニェドに朝の10時ごろに着き、カテドラル前のバルのテーブルで休憩した。アメリカのコロラド州から来た女性と話しを交わした。彼女の兄は職業軍人であったが、今は退役し、結婚した日本女性と暮らしているそうだ。彼女は、天気が悪化しそうなので、この日はモンドニェドで一泊して、翌日、もっと山の中の過疎地を通るルートを採ると言っていた。

Map:モンドニェド

モンドニェドの市街地にあるFonte Vella(古い泉)。説明版(ガリシア語、スペイン語、英語)によると1548年に造られた。

早朝から雨曇りの空だったが、雨が降り出した。標高50mのモンドニェドから徐々に高度を上げて標高500mのアバディンまで辿った。アルベルゲに着く15時半ごろまで冷たい雨が降り続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モンドニェドからアバディンに向かう途次

 

オキシストラル・アルベルゲで休憩してビールを飲んだ

 

 

 

 

 

 

アバディンが近くなった

 

 

 

 

 

アバディンの近くで初めてエニシダの群生に行き合った。この後、ソブラドに達するまでにしばしばエニシダの群生に囲まれた

 

アバディン郊外の工業団地の外れにあるアルベルゲに午後4時半ごろ着いた。雨は止んだがとても寒い。なにしろ標高500mの地なのだ。収容人数30人近くだが、巡礼者の同宿は3,4人だった。隣にレストランがあるのみ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レストランのオープンが、どこでも同じで午後8時だった。
待ちくたびれたが、久しぶりにまともなディナーだった。カルド・ガジェゴ(ガリシア風スープ)とエントレコスト・デ・セルド(豚肉だが、どんな料理か分からずに注文したのだ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁の黒板に書き出されたメニュー

 

マルティニャンのベジャ橋。朝から霧が降りていた

 

 

 

 

 

 

 

この辺りの土地の境界は平たい自然石で築かれていた

 

ビラルバの町外れにあるサン・ファン・デ・アルバ教会

 

 

 

 

 

 

 

バアモンデ近くで。エニシダの群生

 

バアモンデへの途次、カナダ人のジャンとまた出会った。一緒に連れ立ってバアモンデのアルベルゲに入った。15,6人が宿泊した。ジャンと夕食をとりにレストランを訪れたが、例によって午後8時までオープンしないので、バルでピッツアを食べた

Map:バアモンデ・アルベルゲ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バアモンデのアルベルゲを立って直ぐに99,697kmの標識があった。サンティアゴまで100km地点ということで、通り過ぎる多くの巡礼者は記念写真を撮るようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バーモンデからRENFE(国鉄)の鉄道線路に並行したN-V1(国道)を西に向かって3km歩いてきた地点で南に転じて、線路を越えてパルガ川の石橋を渡った。サント・アルベルト礼拝堂を右に見て、森の中苔むした自然石が並べられた土道を進んだ。

 

森を出ると分岐点となり、巡礼路は二手に分かれる標識があった。右手はミラスを経てソブラドに向かう32kmの道、右手は最近整備された、ソブラドまで39.8kmの道。新しい道は途中宿泊施設が無いので、我々はミラスに向かう道を採った。

 

 

 

ミラスの集落に入る。先方にミラス教会

 

 

 

 

 

 

 

2016年にオープンしたオ・アブリゴ(アルベルゲ)に10ユーロで泊まった。このアルベルゲは開設されたばかりで清潔感のある大部屋にジャンと二人のみの泊り客だった。前庭は日本庭園を模したようなつくり。泊り客が数人だったのでCENADOR(夕食室)は使われていなかった。併設のタベルナ(居酒屋)で夕食を摂った。

 

 

Map:アルベルゲ・オ・アブリゴ-ミラス

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅 参考資料    

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